風倉匠

風倉匠 略歴

1936年 ・大分生まれ。本名・橋本正一。
1945年 ・川に捨てられていた不発弾の信管を叩いて爆発、右手人差し指を失う。
1952年 ・大分県立大分工業高校在学中、結核を煩い療養。
1954年 ・高校卒業後、「新世紀群」のアトリエに出入りし、絵画に取り組み始める。
この頃から、風倉と名乗るようになる。
1956年 ・武蔵野美術学校油彩科に入学。(のち中退)
・赤瀬川原平と知り合い、吉村益信のもとに出入りするようになる。
1956年 ・大分県立総合文化祭(大分県教育会館ホール)で【椅子から落ちる】ハプニングを行ない、鎖骨にヒビが入る。
1958年 ・第 11 回日本アンデパンダン展(東京都美術館)に作品を出品。
1960年 ・滝口修造を囲んで、「ネオ・ダダ」結成宣言をおこなう(吉村アトリエ)。
・ネオ・ダダイズム・オルガナイザー展(銀座画廊)で作品を発表。
・安保記念イベント(吉村アトリエ)に参加。
・第 2 回ネオ・ダダ展(吉村アトリエ)に、作品を出品。
この頃から、風倉匠と名乗るようになる。
・ビーチ・ショー(鎌倉/安養院・材木座海岸)に参加。
裸体で海に投げ込まれ、海藻を巻いて上がってくるパフォーマンスを行う。
1961年 ・荒川修作個展(夢土画廊)にて、作品の蓋を開けるパフォーマンスを行う。
・初の個展、風倉匠個展(村松画廊)を開催。会期中一日だけ、【椅子】と言うイヴェントを行う。
原作/風倉匠 翻案/赤瀬川原平 演出/すがとしのり
1962年 ・鎖陰は映画である(京都/祇園会館)に参加。
赤瀬川原平、風倉匠、小杉武久、刀根康尚などがハプニングを行う。
・敗戦記念晩餐会「芸術マイナス芸術」(国立市公民館)で、イヴェント「サドの遺言執行式」を行う。
赤瀬川原平、土方巽と共演。焼き鏝で自分の胸を焼く。
・英雄たちの大集会(福岡/百道屋・百道海水浴場)に小杉武久、刀根康尚とともに参加。
1963年 ・風倉匠個展「リリパット王国」(大分/キムラヤギャラリー)を開催。
・DANCE EXPERIENCE 土方巽による「あんま」(旧草月ホール土間)に出演。
天井のはりに腰掛け、うずくまり続けるが、劇就床間際「水をくれ!」と叫ぶ。
・SWEET16(草月ホール)に《リリパット王国舞踏会》を出品。
【ロープを洗う】ハプニングを行う。
1964年 ・ハイ・レッド・センター「ドロッピングイベント」(お茶の水/池坊会館)に参加。
・「首都圏清掃整理促進運動」(銀座/並木通り)に参加。
1965年 ・DANCE EXPERIENCE の会「バラ色のダンス澁澤さんの家の方へ」(千日谷公会堂)に参加。
1966年 ・加藤俊子と結婚。
1967年 ・石崎浩一郎企画の、実験映画の上映会「インターメディア」(ルミナ画廊)に大林宣彦らとともに参加。
・ハプニング大会「チャンポンメンを持ちながら」(千日谷公会堂)に参加。
後ろ歩きのエンドレスフィルムを写し、映像と同じ服装で【逆向きに歩く】ハプニングを行う。
1968年 ・東映教育映画の嘱託として原子力発電など理科教材用映画の制作に携わる。
1969年 ・邦千谷舞踏研究所公演「本牧亭六華撰」に参加。
・インターメディア/アートフェスティバル(日経ホール)に小杉武久、刀根康尚らと参加。
脚立から1段ずつ飛び降りるイヴェントを行う。
1971年 ・第 10 回現代日本美術展(東京都美術館)に、フーコー振り子による《魔術によって宇宙の一部を証す道》を出品。
・松澤宥の「音会」に参加。猫の皮を張った楽器“拈華微笑”を瞑想台に吊り下げたり、3 本の木にピアノ線を張り鳴らすイヴェントを行う。
1972年 ・諏訪湖で開催されたイヴェントに参加し、直径5m のバルーンを湖の上に浮かべる。さらに中にテープレコーダーを入れ、音を録音する試みをする。
1973年 ・駒場アンソロジー(邦千谷舞踏研究所)に邦千谷、八田淳、彦坂尚嘉、呉埜孔らと参加。
この企画は週一回、約半年間行われた。
・北海道・網走に移り住み、カフカの『流刑地にて』の映画化を試みる。
2 年間続けるものの結局完成には至らなかった。
1974年 ・松澤宥の企画した「世界蜂起 1972,73」展に参加。
《ユメヲキヲクスルカザクラ》と記された電報作品を出品。
1975年 ・北海道を引き上げ、東京・小平に移り住む。
1976年 ・風倉匠個展「FACSIMILE」(日本橋画廊)を開催。
・この頃から松澤宥のあとを受けて美学校夜間部の教壇に立つ。教科は「最終美術科」。
1977年 ・長女・志保が誕生。
1978年 ・風倉匠個展「ホワイトクロス」(国分寺画廊)を開催。
・カバラ【どうしてる?】(京都大学西部講堂)を開催。
紐を張り巡らせたり電球を吊るしたり、ハプニングを続ける風倉にテープレコーダーから 3 分毎に「どうしてる?」と声がかけられる。
1979年 ・「Summer Performance 1979」に参加し、【チェロを壊すパフォーマンス】(麻布/天井桟敷)を行う。
・大分に帰郷し、絵画塾を開く。
1980年 ・風倉匠個展「-絵画の起点を探す検討作業-」(大分県立芸術会館)が開催され、絵画、オブジェなど約 150 点を展示。
1984年 ・「WHAT WAS NEXT?」(西武美術館)に小杉武久、一柳慧らと参加。バルーンによるパフォーマンスを行う。
1986年 ・前衛芸術の日本 1910-1970 展(パリ/ポンピドゥ・センター)に招待され、小杉武久とジョイント・パフォーマンスを行う。
1988年 ・土方巽追悼公演(土方アトリエ アスベスト館)に石井満隆、小杉武久とト
リオで出演。バルーンによるパフォーマンスを行う。
・九州派展(福岡市美術館)で、バルーンによるパフォーマンスを行う。
1989年 ・風倉匠個展「ミニアチュール < 青い黙示録 > 展」(亀の井別荘)を開催。
1991年 ・「NHK 文化サロン おもしろ美術館」のリーフレットに、詩「娘の卒業にあたって」が掲載される。
・備前アートイヴェント(備前市/久々井運動公園東隣)に参加。
1992年 ・「風倉匠版画展」(湯布院空想の森美術館)が開催され、オープニングで暗黒舞踏の石井満隆と共演。