山口健二さんの名前が山口建二になっていますが、原文のままです。
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『彼等のそれは思想伝達の具たり得るか』
<形象8号>
1963年(S.38)32才
自立学校シリーズNO1の目録をみて、松田政男のその執拗な性格に、これこそいまだかつて日本ではみることのなかったヴエルホーペンスキー、ある いは日沼倫太郎のいう処の思想を生んで歩く首猛夫ではあるまいかと感じ入ったのであるが、いささかその足どりの激しさに比して、すなどりの淋しさが物足り なく思えるにしても、やがては壷々をあざやかに打ち当てる老いたオルガナイザーを、吾々は恐らく持つだろうことをあてにしてよいのである。いまはまだ打ち 上げる球が高々とであろうと、背丈ほどであろうと、球という球はすべてフアウルになるという現状認識さえあるならば、来る球は断じて打つ松田政男をしかし 物足りなく思う理由など吾々は持っていないといってよい。ところでその目録であるが、このはなはだ精緻をきわめた記述のなかに、開校集会の際に臨時講師に 立候補した中西夏之と刀根康尚の事件が欠落しているのは松田政男の評価を示しているのであるにしても、この目録を補足する意欲を抱かせるほどには自立学校 の可能性にひとつの問題を設定していると私は考えるのであって、それは思想の伝達は可能かという問いなのである。
中西夏之がその時なにをしたか逐一報告する考えはない。というより、そのアクシヨンが発煙筒を持って駆け廻ることであろうと、後日の刀根康尚、小杉武久 のように袋のなかでうごめくことであろうと、投げかける問いの性質に影響がないのである。当時の司会者山口建二が講師としての立候補を一般に求めたのに対 して、機会をうかがっていた中西夏之はその場の臨時講師として演じてみせ、一方山口建二は立候補者としてそれをとらえていたために臨時講師とするかどうか は後日運営委員会で検討すると述べるという話になってしまうのであるが、この後日の運営委員会の際、主として山口建二と私が討論し、傍聴していた谷川雁が これは一般論として討議しなければならぬこと、即ち、この種のやり方が思想伝達の具たり得るか否かを判定しなければならぬと述べたのだが、この検討は遂に 現在運営委員会としてはやっていないのではないかと思うのである。しかしながら、運営グループ連署によるところの「先生グループへの意見」は、自立学校講 師でさえ、諸他のイデオローグとともにもはや駄目なのではないかという、いわば一種の破算宣告なのであるが、この提言はコミュニケーションは成立すべきも のという前提の上に立っているもののようである。この破算宣告は、中西流のオブジエを道具としてするところの行為をさらに思想伝達の具としてとらえ、そし てそれが可能かを疑うよりははるかに確然と、この言語表現によるところのイデオローグの不可能を宣告しているのであって、はからずもとりわけて中西夏之、 刀根康尚、小杉武久等のそれと、各種イデオローグはこゝにおいて同一線上に並べた時に成立する一般論はなにか、即ち思想の伝達の具たり得るかということで はなく、より根底的な設問そもそも思想の伝達は可能かということである。
美術雑誌「形象」のための座談会が昨年11月に、札二刀、中西夏之、高松次郎、赤瀬川原平、木下新、私というメンバーでおこなわれ、その際、開校集会の この事件について話が及びはなはだ常識的な意見を私はしゃべっているのであるが、それはこうである。中西や刀根のそれが伝達の具となり得ないならば、言葉 によるそれも成立せず、本来、コミニケーシヨンという奴は成立しないのではないか(形象7号、8号参照)。相互滲透性のデリユージヨンを打ちこわすこと、 その方法として電気洗濯機の中にイデオローグをつゝこんで、生徒を洗剤としてひっかき廻してみること、それが学校に寄せた私の空想であって、イデオローグ の攪拌ということしか、初発の私に自立学校は意味をなさなかったのである(形象6号参照)。前述の座談会に即してみれば中西夏之は更にみずからの行動を指 してこれは思想伝達の問題ではないと云うのであって、街角で、あるいは扉のかげから不意にひらめき襲う匕首ほど、適確にその意志の伝達を果たすものはない のではないかと私には思はれるのであるが、ところがそれにしても、いまほど敵の貴重な時期はなく、埴谷雄高に云わせれば<やつは敵だ、敵を殺せ>というの がせんじつめた処、政治の意志というものらしいがそんなもったいないことをしてはならぬのであって、敵とは少年時の私設動物園の動物達、とかげや蛙やゲジ ゲジのように大事に囲みのなかで飼育しておく必要がありそうなのだ。
人の不意を襲い、衝動を与え、しかも殺さぬ方法を指してコミニケーシヨンと呼ぶことにするならば、破産した筈のイデオローグ達も言語表現を媒介とするこ とから解放されるはずであり、その一個の存在としての衝撃力の測定は自立学校圏内では不可能であるだろう。このイデオローグの復権は中西夏之流のアクシヨ ンと又しても肩を並べるのであって、どちらに確かな衝撃力があるかを測定する必要があるならば、その機会を逃してはならぬはずである。新橋野外ステージ側 に、堤ビル旧館というのがあって、その三階の窓から梱包があふれ出ているのをプラツトホーム、又は電車のなかから見たとしたらそれは5月25日から30日 の間であって、さらにくわしく点検するためには1時から7時迄の間にその階段を昇ってみなければならぬ。Hi-Red Center の高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之等があなたを待っている。
直接行動の兆 I
<形象8号>
1963年(S.38)32才
セザンヌ以来、展覧会の壁面を拒まれることは画家の光栄であった。落選者展覧会からアンデパンダン展に至るこれへの参加者は、おのれの栄光を信じ 得た。しかるに壁面を拒まれることが至難となった二十世紀後半に至っては、もはやアンデパンダン展参加そのものが先験的に画家の光栄であることはなくなっ た。アンデパンダン展が反画壇であるとするならば、壁面を拒まれることの至難な画壇に対して反措定としてある意味をアンデパンダン展は失ったといわねばな らぬのであって、運動の半径が美術運動の内径としてあるかぎり、アンデパンダン展は画壇の無原則性の増大とともに死に至るのである。従って血路はあきらか であり、それは美術運動の内径からアンデパンダン展が総体として出はずれることである。ではその方法はどうか。
朝日ジャーナル3月17日号のオブジエの集積と題したアンデパンダン展評はスキヤンダリズムの全面的後退とそれにかわるオブジエの集積による造形研究の 方法の意識的利用の登場といゝ、このダダ的傾向の後退は都美術館側の禁止条項というまったく外的な事情に由来したものに違いないといっている。一方芸術新 潮4月号は読売アンデパンダンの末期と題し、このところ低調で悪評サクサクのそれはいよいよイケナイ段階に突入したらしいといゝ、反美術・反芸術の牙城も 15年たつと老いさらばえて、無惨な老醜をさらけだしたと述べ、これに拍車をかけたのは今年から主催者と美術館とで取りきめた陳列作品規格基準だとしてい る。そしてこの基準で気勢をそがれた血気にはやる若者が初日の3月2日にささやかな抵抗ショーを演じたがすでに手遅れであり、展覧会そのものがダメになっ ているのだからどうしようもないのだと書いている。このふたつの無署名欄は誰が担当しているのか知らぬが、いずれもスキヤンダリズムの後退と、その外在因 として陳列作品規格基準をあげている点で共通している。さらに、美術館側から提示された出品作品規格基準が読売アンデパンダン展に与えた影響の重大さに触 れながら、このアンデパンダン展の変質についてなんらの痛みも感じていないらしくみえる展でもその伏床を同じくしているようだ。そしてさらにこのキバを抜 かれた狼は大人しくオブジエの積木遊びを楽しんでいると思い込んでいる点でも又そうである。
これらの批評の力点は本質において狂っている。他の公募点に対する批評なら充分に通用する批評の態度が、こゝでは効能がないということに彼等は気付かな い。中西夏之の作品ひとつとりあげても、彼の作品は好評で、どの批評にも必ず眼についた作品としてあげられているようだが、例えば朝日ジャーナルはオブジ エの集積という点でしかみていないし、芸術新潮でも又、その荷いもっている諸他の作品とは異質な性格に気付いてはいないのだ。私の読んだかぎりにおいて、 その作品が平たくクリツプの密集したタブローとしてではなく、正しくその表題通りに攪拌行動を誘発するものとして記述しているのは、自分でも面白がって攪 拌行動に手をそえた中原祐介たゞひとりなのであって、このように出品者に加担する姿勢があればこそ事件を痛みとしてとらえ、その文章が無責任な先鋭主義な どというあんまり正体のはっきりしない言葉で始り、そして結んでいるにしても、作品の内容に及ぶ規定は除去すべきだという提言を含み得ているのである。諸 他の展覧会は作品の空間的な、スタテイツクな配置のなかをひっそりと歩き廻ってひとわたりみてしまえばそれであやまりなく問題点を抉出することが出来るだ ろうが、読売アンデパンダン展にはもうひとつのモメント、即ち時間を加算しなければこの展覧会をとらえたことにはならないということを、少なくとも二年前 には気付いていないならば、そもそもこの展覧会を批評する能力はないのである。出品者は商売になっちゃいないのだ。朝日ジャーナル、芸術新潮の無署名氏 よ、たかの知れた小遣いかせぎにいゝ加減な批評を書くのはやめたまえ。
ついでながら芸術新潮無署名氏のそれは世評の尻馬に乗って軽率な点では群を抜いていると申しそえておこう。こゝのところ低調で悪評サクサクであったと書 いているが、こゝのところとはこの二、三年ということであるはずだが、ところが美術館が直接読売アンデパンダン展を目標にして作った基準であるという処の 6項目が、同時にこの展覧会を特徴づけていた要素であると無署名氏はいっているのであり、それが去年でも一昨年でもなく、今年になって提示されたというこ との意味を君はどうみるのか、君にとってアンデパンダン展を特徴づけていたものが今回規制されたということは、少なくとも去年のアンデパンダン展は君の規 定によればアンデパンダン展として低調ではなかったはずではないのか。さらに、反美術・反芸術の牙城も15年たつとさすがに老いさらばえてと書いている が、読売アンデパンダン展は15年前から反美術・反芸術の牙城であったなどというのはうそであり、15年来、この展覧会ははなはだしく美術的であり、芸術 的であったのではないのか。そしてその上に、現代美術の問題につながるものは影をひそめたと書いているが、実は今回こそ、その問題につながるものが現れた のだ。即ち、私が会期直前に前年の出品者にあてゝ送付し、形象7号にも貼付したアピールにあるように、1963年の読売アンデパンダン展をみずから演ずる 処の告別式としてとらえ、反美術・反芸術などという美術論の範囲にとどまらぬ可能性をはらんだ処の徹底したスキヤンダリストの登場である。以下簡単に空間 的な作品の配置を眺めただけではとらえることの出来ぬ側面についてふれておこう。
多分時間派の連中だと思うが、血気にはやる若者が初日の美術館正面の石段で演じた抵抗シヨーについては芸術新潮がすでに述べているが、彼等は美術館側の 通告によって警察に拉致され、まず警察権介入の途を開いたこと。さらにこれはあまり面白くないが後日幽鬼のごとく館内をさまよい歩いてみせたこと。及び三 木多聞が美術手帖の月評でとりあげているが、浜口富治が美術館の陳列作品規格基準に抗議して同じ初日に美術館前で作品陳列していることについて、時間的経 過としてはふれておかねばならぬのだが、更に3月10日名古屋の加藤好弘達によるメタフイジカル、エロチシズム入滅式なる恐ろしく退屈な儀式が第4室でお こなわれた同じ時期に、高松次郎出品のカーテンに関する反実在性についてと題して、室の中央に横たわっていた黒い思辯的な紐が、なにものかの手によって反 転出口を求めて朔行し、さらにその先端にジヨイントされた白い細い紐が部屋々々を横切って受付の前を通り、美術館正面の石段を駆け降り、噴水をなゝめに つっきり、林の中で紆余曲折したあげく西洋美術館と文化会館の間を通りぬけ、上野公園口に入り込み、レールによって日本全土に到達しようという、紐の持つ 即自的要求にふさわしい事件があり、それが翌日に至って足元のふたしかな通行人を転倒せしめるという新たな事件を呼び、警察官がこのふとどきな紐をたどっ て遂に美術館に導き入れられ、美術館に対して撤去要求を出し、あわてふためいた美術館側はこの紐が読売アンデパンダン展の会場に入り込んでいるのを確認 し、読売アンデパンダン展の役員に抗議し、読売アンデパンダン展の役員に抗議し、読売アンデパンダン展はさて誰がやったことか見当がつかず、たまたま居合 わせた篠原有司男が仕方なく上野公園を駆け廻って紐を片付けて廻るという始末となり同じ10日休憩室と並んだ階段前のフロアでのグループ音楽の小杉武久、 風倉匠による演奏は密告されて展覧会事務所で読売側係員と対決するという事態を生じ、会期末の15日、篠原有司男が駆けまわって片付けた紐の軌跡をなぞっ て黒枠告別式会場案内の手刷りのビラがまかれ、美術館正面石段右脇の大看板が第15回読売アンデパンダン展死すと大書されるに至るのであるが、これらの諸 事件が執拗にばらまかれつづける赤瀬川原平のにせ札と、中西夏之のクリツプの、中原祐介いう処のいわば会場全体がイオネスコふうともみえる反応の展開する 可能性をはらみつゝゆらめくのを背景としながらくりひろげられていたのである。
なかんずく諸事件中白眉をなす小杉武久、風倉匠の掘り起こした問題についてはことこまかに記録する必要があるのである。その議論は整理するとこうである。(読売側をAとし、小杉、風倉側をBとする)。
小杉武久については、
A 出品作品と関係のないことをしてもらっては困る、しかもその場所は読売が美術館から借りた場所ではない。
B 自分が袋に入って演奏するということが全体として作品なのであって、これは出品作品なのだ。
A それが作品だということは認める、しかし陳列委員会で決定した場所があるのだからそこでやって欲しい、動いてもらってはまずい。
B 動き廻らなければ意味のない作品なのだからそういわれても困る、定められた陳列場とは演奏の道具を掛けておく場所であってそれだけでは作品ではないのだ。
A 作品は動いては困るのだ、陳列日に陳列した位置に他人の作品が並んでいるといって苦情が沢山きている、勝手に他人の作品を動かす例があってこういうことは問題なのだ。
B それは全然性質が違う、こっちは人の作品を動かしてはいない、とにかくこういう作品を受付けたのだからいまになって駄目だというのは筋が通らぬ。
A 受付に際してこういう作品だということは分からなかった。
B それはおかしい、今回はきびしい規定があるようだが、そのどこにも動く作品はいけないとは書いてないではないか、一体どういう権限で駄目だというのか。
A 主催者としてだ。
B 主催者とは読売新聞社としてか。
A そうだ。
B 運営委員会はなんのためにあるのか、運営委員会がある以上、主催者がなんであろうと規定にない問題が生じた場合にはそれに計った上でのぞむべきではないか。
A 運営委員会には決定権がない。
B 決定権のない運営委員会とはなにものか、読売アンデパンダン展にとっての運営委員会とは諮問機関のことか。
A そうだ。
B それならそれで諮問委員会とちゃんと名乗りたまえ。諮問委員会ならそこがどう答申しようととにかくそこに諮問する責任が読売にあるはずだ、早速それを召集したまえ。
A それは出来ない、あなた達が自由に作品発表の出来る場所はこゝしかないのだ、これがつぶれてしまってはあなた達は困るだろう、読売内部でもアンデパン ダン展には反対の空気が強いのだ、今回は会場の割り当てもあゝして減らされているのを知っているだろう、アンデパンダン展はつぶれちまいますよ、自重して くれないか。
B 会場が減らされたのは吾々が勝手なことをやって騒ぐからだというのか、それは美術館側に確認したのか。
A それは分からない。
B なぜ減らされたかを聞いていないのか。
A いない。
B そんな無責任な話があるか、こういう重大な問題をどういう理由からか知らないで主催者は済むと思っているのか、調べてきなさい。
風倉匠について、
A とにかく貴方のは警察の問題だ。
B いや正規の手続きによって出品している。
A 貴方がやったようなことは受け付けていない。
B 題名を読んだか、題名は事物だ、事物とは事と物だ、事柄が含まれているのだ。
A 貴方のは公然猥褻物陳列だ、公衆に不快感を与える。
B 陳列基準にもそういうのがあるが、そんなことを云ったらあの6項目でどんな作品もみんな含まれてしまうのではないか。油絵具だって不快な匂いがする。 大体美術館側から提示されたからといってそれをうのみにする馬鹿がどこにあるか、貴方だって基準提示の経緯を知っているはずだ。各美術団体責任者を集めて の基準説明の際、質問に答えて美術館側はこれは絶体に守って欲しいが強制するのではない、この基準に牴触する作品が陳列された場合はその団体と話し合うの だといっているのでないか、アンデパンダン展は無審査がたてまえなのだから陳列させた上で出品者ともども美術館側と論争すべきではないか、第一風倉のやっ たことは一寸も不快じゃない。
A 貴方達専門家にはどうか知らないが、不快だというのが常識ですよ。
B その常識という奴が問題だ、貴方にはそれが常識でも、だからといって誰にとっても常識というわけにはいくまい。
A それはそうだがアンデパンダン展の観客は決して貴方達美術家ばかりではない、先生に引率された小学生が来たらどうするのか、これは問題ですよ。
B そういうときにはやらない。
A いつ来るか分からないではないか、とにかくやめてくれ。
B いや、これはおれにとって芸術の問題だ、貴方にやめろといわれたからといってやめる訳にはいかない。
A それではやるのか。
B やるかどうかは分からない、そのときになってみなければなんともいえない。
A それぢゃ話にならない、警察に一緒に来てくれ。
B いゝですよ、行きますよ。
しかし警察にストレートに行ってしまうことについては異論を持つものがあり、美術館は一種の治外法権が成立するものであって、美術館側が提示した基準の 問題もからんでいるのだから美術館側の見解をたゞした上で警察に行くべきだという意見であり、読売側もこれに同意した。ところが、生憎くこの日は日曜日 で、美術館の責任者はいないのであって、一体どこに連れて行くつもりなのか面白くて、にやにや薄笑いをしながらついていったら守衛室につれ込まれたのであ るが、事情を聞いた守衛は弱り果てた顔をして、こんなことは美術館始まって以来のことだといゝ、読売さんが駄目だというのならやめた方がいゝでしょうと、 はなはだ煮え切らない返事をし、裸はいけないといったって、二科では公然とストリップをやっていたではないか、あれはどうなんだと聞けば、いやあれは届け てあるのだと答えた。風倉匠がそれでは届ければいゝのかと聞いたのはうかつに吾からわなを作ってそれに落ちたのであって、風倉匠の件はとにかくやるときは 読売側に届けてからするという事になってしまったのである。読売側係員が小踊りして、にこにこ顔で帰ってしまったのはいう迄もない。
さて、以上の経過から吾々の得たものはなにか、第一にかねてからの噂通り、運営委員会はビフテキ委員会であって、ビフテキの陪食だけしていてくれれば いゝのであり、その決定に拘束されるなどとは読売新聞社は露ほども考えていないのであって、それは主催者の恣意を隠蔽し、アンデパンダン性をよそう羊の皮 だということである。第二に美術館提示の陳列作品規格基準はただ単に読売アンデパンダン展を対象にして作ったというだけではなく、そのおのずからの自己発 展の法則に従って野放図にふくれあがっていく、アンデパンダン展出品作品の反社会的な傾向におそれをなした読売新聞社側が、昨年は展示拒否を運営委員会に 諮問して反対されたのにこりて吾から美術館と合議し、拒否基準を作った疑いがあるということである。
アンデパンダン展を新聞社が主催し、営利をはかるという、その出発からしてこのアンデパンダン展はゆがんでいるのであって、だからこそ名目だけの運営委 員会が必要なのであり、同時にアンデパンダン展も名目だけになってしまうのである。それではアンデパンダン展のひずみを修正するために読売新聞社を主催か ら後援に移し、運営委員会が正しくその機能を発揮するようにしたらいゝ。しかしそれは昨年の時点でチヤンスを逃している。法律とか、社会公共のなんとかと いえば、簡単に説得出来ると思い込んだ読売新聞社の出品拒否意志を拒否した運営委員会は、その答申を拒否されたときにビフテキを拒否し、読売新聞社営利の 恣意隠蔽の道具となっていることを拒否し、主催者読売新聞社を拒否すべきであったのである。ひとつの平手打に対して10の平手打で応える、これはけんかい のイロハであろう、美術界きっての戦斗的な若者を大量に含んだ読売アンデパンダン展運営委員会はそれにしちゃあどうだろう、ねえ、あまりといえばだらしが ねえ。
冒頭に述べたとおり、画壇に対する対概念としてのアンデパンダン展は終わりをつげたのであって、そのおのずからの発展形態が反社会に接する処で新聞社営 利を乗ずれば、今回の拒否基準6項目風のずるいやり方で爪も牙も抜こうという計画になり、それへの反抗がアンデパンダン展自滅の時間を早めるのであり、一 方新聞社営利の恣意を排除し、運営委員会最高権力という方向で考えても、中原祐介のひそかなプラン通り、さらにすみやかにアンデパンダン展は崩潰するので ある。このいずれにしても早晩崩潰するはずの読売アンデパンダン展にちょっかいを出す理由はなにか、新聞社営利の恣意によってではなく、出品者の手によっ てアンデパンダン展を葬ろうがためである。アンデパンダン展が総体として美術運動の内径から出はずれるということはなるほど無審査展の血路であるが、それ は同時に上野都美術館を締め出されることでもあるのであれば、無審査展が美術館を締め出す方法を案ずべきであろう。それは中西夏之、赤瀬川原平流に会場全 体を自己の作品と化し、あるいは高松次郎流にその作品がおのずからおびきよせる仕方によって美術館をあふれ出る要求をもった作品を作ってしまうことであ り、小杉武久・風倉匠流に直接読売を権力化し、さらに美術館権力、警察権力へとバトンタツチをされざるを得ない作品発表で美術館を出はずれるという、今回 のやりくちがその萌芽として示唆する処、大きいのである。
オンライン編集委員会サイトより引用
『自立学校の企図に寄せる』
<形象6号>
1962年(S.37) 31才
コンミユーンの執行権力者が、学校をコミユーンにしてしまうとするならば、学校設立者は、コンミユーンを学校にしてしまうのでなければならぬ。
インタナシヨナリストもいれば、ナシヨナリストもおり、フアシストもいる、相互コミニケーシヨンの断絶と、その対極化という極点で、それぞれが、それぞ れの思惑のベールをかなぐり捨てて、まったき全体像を示めすそういう折りの、絶対行政権力の権力行使の政策は、一種混沌とした指令としてあらわれインタナ シヨナルな命令書と、ナシヨナルな命令書とが、あるいふぁフアシズムのそれが、互いに打消しあう同時要求となって、戦線をかきみだしながら、それとして協 同戦線を形成する。その激しい憎悪と、一方、風聞として定かならず、それ故に、途方もなく茫漠と広がった、どこにいて、どこに現われるかわからぬ、不安の 一般表現としての、したがって神兵であり、相互の憎しみ合いからの救い主であるところの反革命軍への、隠微な親和感のさゝやきが、街角から街角へ、まなざ しの一瞥のようにひらめく、そういう時に成立するコミニケーシヨンは、ある政治権力の行政機構が、なにものにも立ちまさっている時期の、相互滲透性のデリ ユージヨンを一挙に打ち破るのであって、コミニケーシヨンとはどんな場合にも一方交通のそれでなければならず、それは例えば、理解の如何を問わずにいきな り胸をさしつらぬく匕首なのだと思い知るべきである。
コミニケーシヨンの相互性は、相互滲透ではなく、噛み合った櫛の歯のように、あるいはからみ合う男女の指のように、一本ごとに交互に、相手に向き合う高 低さまざまな、皮膚に接してしかもついに傷つけあわぬ匕首なのである。では相互コミニケーションの断絶した、コンミユーンにおけるコミニケーシヨンはどう か。切っ先が接し、なお相手を克服しようと圧力がかけられて弓なりになったりサーベル、または溝に落ち合わず、歯と歯が向かい合った櫛のように、相互に傷 つけ合うよりは、コミニケーシヨンそのものを傷つけ合うそういう様相として示し得るであろう。
こういう時期を学校として、そこに期することがあるとすれば、インタナシヨナリストが、その仮面をかなぐり捨てるかのように、ナシヨナリストとして立ち 現われ、ナシヨナリストが、フアシストとしての裸身を示しフアシストが、意外にもインタナシヨナルであったりすることであるように思われる。
社会主義者がブルジヨア政権の閣僚となるのは驚くにあたらず、実に無政府主義者が政府閣僚となるという喜劇を、吾々はスペイン革命において覗見しているの である。そこで、学校でみるのも又、この種の、変貌の劇でなければならないのであって、断じて教えられることをこばみながら、変容せしめられていく場こ そ、理想の学校というべきであろう。
このソクラテスというよりは、プラトンの理想の学校を運営していくにあたって、運営者のとるべき態度は、以下のとおりであらねばならない。
1.あらゆる政治フラクシヨンを排除しない。
1.教師・学年・学期・クラス制を承認しない。
1.多数決方式によらない。
1.啓蒙化傾向に機敏なアンテナを持ち、その萌芽を踏みつぶし、大勢が動かし難いときは、そのときをもって閉校する。
この5項目に従うを得ないときは、理想の学校は崩壊し、また崩壊せしむべきであろう。
第二の提言
―自立学校アッピール―
他のたすけなしにみずから立つものが自立であるならば、存在形態として自立者であることは出来ない。自立者が存在形態としてありえるのは想念とし てである。即ち自立の想念の具現者という想念としてである。常におのれとしてではなしに、おのれのありうえべき、あるいはありうべからぬ対象として、従っ て他者としてそれは存在する。
この遂におのれに体化し得ぬ想念とのつきあいを引受けるものは、遂に癒すことの出来ぬ渇えをも同時に引受けるはずである。おのれを自立者として措定し得 ず、自己意識者としてあるところのものは、他ならぬ自立の想念の具現者という想念を担い持つが故に、他立の想念の具現者の想念も又荷はなければならず、他 立の地平に切結ぶ垂直の運動方向のみが軸として有効であるが故によく他立の地平を動かし得るはずだと思い込んだツァラトゥストラのような、他立に及び得ず 再び想念の棲家に引返えす自立想念の具現者の後姿をさえ自立意識者は見通さねばならぬ。
かくしてアンチ・クリマックスの病に堕ち、安住の墓を持たぬものの学校とはなにか、それはもはや教えることも教えられることももたぬもの達が凍てついた ようにお互いにみつめあってみじろがぬ、いわば一見荒廃期の精神分裂症患者の集団のごときものであるだろう。治癒を願うものは他立の側に賭けるのであっ て、病院即ち啓蒙学校へ行かれるがよい。癒えることを願はぬものは病の重篤をこそ自己目的とするのであって、こゝではメドウサのまなざしで応え、なにもの をも石と化する想念のきっさきがよくおのれを石と化し得るか否かが問われるだろう。
従って、この学校に集うものはメドウサでなければならぬのであり、運営プランにおける先生も、これに対応する生徒も、開校と同時に意味を失う学校遺制な のであって、遂に医師・患者、あるいは先生・生徒であろうとする参加者は、発見されるやたゞちに放校処分に附さねばならぬのである。
運営上の原則はかくして以下の通りである。
1.いかなる政治・宗教上のフラクシヨンをも排除しない。
1.多数決方針をとらない。
1.教え、教えられようとする参加者は排除する。
1.学年、学期、クラス制をとらない。
1.以上の各項に従うを得ないとき自立学校は閉鎖する。
オンライン編集委員会サイトより引用