美学校アーカイブ
■ アリス・モード・ロクスビーさんと嶋田美子さんによる美学校研究など
※ 以下の文章群はアリス・モード・ロクスビーさんと嶋田美子さんのご好意により掲載させていただいております。
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世界の美学校(のようなもの)1
デンマーク:実験学校 Ek-skolen (1961-72)
Ex-skolenは王立美術アカデミーに対抗するものとして61年にアーティストPoul Gernes(1925-96)と美術史家Troels Andersen(1940-)によって始められた美術学校です.学校と言っても、美学校同様、公的に認可されたものではなく、塾、コミューンに近いものでした. Poul Gernes はバウハウス的な「匿名性−作家主義の排除」「実生活と密着した芸術」の理想を持っており、また、Troels Andersenは西側の美術史家の中ではロシアン・アヴァンギャルド研究の先駆者でした.彼らの周りにはPer Kirkeby, John Davidsen, Peter Louis-Jensen and Bjørn Nørgaardなど、今日ではデンマークの国民的作家となったアーティストの友人がおり、また作曲家のHenning Christiansenなど、美術以外のジャンル(詩、文芸、思想、政治学、政治活動)の人たちも参加していました.
無認可の上何の経済的支援も無い学校でしたので、すべて参加した作家と生徒の自弁、教室も安い空き部屋、コミューン、不法占拠などを渡り歩いていました.「恊働」を旨としたので、生徒と先生の区別は無く、お互いに教え合う、学びあうをモットーとしました.60年中頃にはよりパフォーマンス、ハプニング的な要素が顕著になり、ヨセフ・ボイスとの恊働なども行いました.また、「民衆に開いたアート」をめざして当時はやりだしたオフセット印刷やシルクスクリーンを使ってポスターや雑誌(ta’)を発行し、街頭でのアートフェスティバルなども企画しました.
64年以降は学校というよりはアーティストコミューンのような形になり、生活と芸術、政治、教育の一体化を図りましたが、60年代後半以後、急激な政治の変化と過激化に美術からの離反がおこり、コミューンの中での経済的問題、ドラッグ問題などもあり、72年には解散してしまいました.
その後もGernesは反コマーシャリズムの芸術、実生活に役立つ芸術を模索し、公共建築の壁画や色彩内外装などに才能を発揮しました.他の作家も独自の道を歩み、Per Kirkebyは80年代にドイツ新表現主義の作家らと一躍脚光を浴び、 Bjørn Nørgaardも「馬を殺す」パフォーマンスで悪名を馳せた後には絵画に転じ、王立アカデミーの教授にまでなりました.
Ex-skolenは現在デンマーク美術史に重要な位置を占め、研究書や展覧会も多くなされていますが、英文のものはほとんどなく、デンマーク以外では知られていません.唯一、比較文化学者で当時を知るTania Oremさんが最近英文で論文を書いています.彼女によれば、「Ex-skolenで作られた作品は見た目ミニマリズム、ポップ、ハプニングなど、アメリカ文化の文脈で作られたように誤解されることが多いのだが、そのミニマルはロシア構成主義、ロシア革命の文脈で捉えられるべきであり、ポップ、ハプニングもウォーホール、カプロー以前にバウハウス、ダダの影響でなされたものだ.ニューヨークから遠い、「辺境」で60年代同時多発的に生まれた「オルタナティブ運動」は、その同時代性とともに独自性を検証されるべきだ、」といっています.
美学校と比較すると、美学校が「ちゃんとした学校」に見えるほどけっこうむちゃくちゃな学校だったのですが、Gernes氏の人柄か、破天荒でも理想の筋が通っていて明るいカンジです.ただ、超有名アーティストになったPer Kirkebyは最近までこれに関わった過去を隠そうとしていたとか、ある人はインタビューにも応じないとかも聞きます.Andersen氏はまだ存命なので、近々アリスさんが会いにいく予定です.
コペンハーゲン大学のリサーチチームは美学校との比較研究に非常に興味を持っており、展示も前向きに計画しています.
2012年1月 嶋田美子









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